So-net無料ブログ作成
検索選択

ちいさなロミンミュ [パーソナル ノート]

07intr_20160222.jpg

 ブログとPixivで、同じ内容の記事を投稿させていただきます。大切なアイデアなので、いち早く公開したいと判断したからです。ご了承ください。

 以前から少しだけウェブ上で公開してきた、いもむしの女の子の名前を決めました。

 ちいさなロミンミュ(Little Rommimmeu)と、名付けさせていただきます。

 キャラクターを作るのも、名前を決めるのも、実はとても大変な作業です。
 すでに同じようなコンセプトやデザインのキャラクターがいないか、似たような名前がどこかで使われていないか、多数の候補をあげてから調べて絞り込んでゆく作業です。
 本編の主人公・空の語り部リンナミーシャを公開する前にも、外見や名前の候補は多数検討していました。リンナミーシャという名前を公表する直前まで、この主人公の少女にも数種類の名前の候補が存在していました。

 この子もせっかく外見をデザインしたのですから、物語にもっと登場してもらうことにしました。
 「いもむしの女の子」と呼ぶだけでは存在感が弱くなるので、ロミンミュという名前にしました。
 リンナミーシャにつけるために用意していた候補のひとつだった名前です。


501mc_20140510.jpg

 蝶の司キャプテン・キュンメルは、ふしぎな剣を使いますが、対してロミンミュは杯の持ち主です。
 ブログで少しだけ触れたことがありますけれど、ふしぎな剣の対となる、神秘の杯です。
 ちいさなロミンミュが、どんな風に杯を使って、どういう風に物語に関わってゆくのか…楽しんでいただける物語を作りたいと思います。


おなじみ、退屈な経過報告です [メイキング - Blender]

 退屈かもしれなくて恐縮ですが、いろんな下準備してます、という経過報告だけの記事です。



 5月のコミティアやデザインフェスタにどんな作品を持参するか、そのために必要な材料は何か…などと考えながら資料を読んだりメモを書いたり。
 Blender上のキャラクターたちのデータを改良したり。そんなところです。


Progressrep_09sgl_20160215.jpg

 ふわふわ操縦士ミルコーロ・ゼンプテの靴を改良しました。外見ではなく動きをつけるための効率の向上です。
 陽気なロボットのグラフィートーの足関節のデータも改良しました。これも外見ではなく内部構造の改良です。もともとかっこいいという外見でもありませんけれど…。

Progressrep_08Gr_sgl_20160215.jpg


 小さな作業ばかりで忙しくなっていて、分かりやすい大きな成果が出ていなくて、ちょっとつまらない時期ですけれど、これも道のりなんです。ひとへお見せできる作品を仕上げる日のために、小さな一歩を積み重ねていくんです。
 地味ですけれど、大切だと思ってがんばっています。
 自己満足の独り遊びなんかではなく、自分の技術や性格をPRしていくためです。仕事として認められる日が来るように作品を作るんです。
 するべきことが分からない、とか、こんなことをして何になるんだ、と思いながら時間を無駄にするよりも、ずっといいと思います。



知識と教養って、どう違うんですか?

知識と教養って、どう違うんですか?

 先日公開した漫画の一場面で、空の少女リンナミーシャが遍歴の科学者カーロにたずねます。
 「知識を資産と例えれば、教養は財務状態のようなもの」という例えでカーロは答えています。

 少し置き換えても構いません。知能は資産、知性は財務状況。というのでも、同じような意味です。

 これは私が考え出した例えです。企業などに所属して仕事をしている方と話す機会にしばしば耳にするのが「教養って何なんだ」「教養って、何の役に立つんだ」という投げかけです。

 そこで実社会に合わせた例えを出してみたというわけです。情報を集め蓄えるのが知識ならば、知識を適切に、有意義に使う能力が教養なんです。

 教養について全く違う説明を見聞きしたことがおありかもしれません。それでも構いません。教養とは何か、ということ自体、学問の研究テーマのひとつだからです。
 少なくとも教養とは、不寛容やうぬぼれではありません。



 教養というのは雑学とは全く違います。一般教養という分野への誤解から来る取り違えではないかと思います。
 学校などで一般教養と呼んで様々な分野の基礎的知識を教わることがありますが、あれは教養そのものというよりも、教養が育つための下地作りとでもいうものです。
 教養とは自分の行いや周囲の動きを広く見渡す能力ですから、教養を身に着けるためには、幅広い知識がある程度必要なんです。



 教養の持ち主と言われるのは、物事を広く見渡すことができる人のことです。

 例えば、自分の性格や得意分野について、距離を置いて見ることができるということです。他人に伝えるためにはこうすればいいかもしれないな、ひとにはこう見えているのかもしれないな、と想像できるのも教養です。
 自分になじみのない物事や人に対しても公正にできるということです。自分と相手との共通点や違いに目が届くということです。

 理性的な交渉や取引が一般的な現代に、銃や刃物を振り回せば畏敬の念が集まると思い込むのは、教養や知性の欠けた行いです。
 相手との共通点や違いに気づかないから、近くに乱暴者がいると怒るのに、自分が乱暴に周囲を脅せば尊敬されると思い込む。教養が無いせいで、負のスパイラルという砂地獄に自ら沈んでゆくんです。

 教養の持ち主と言われるのは、完璧な人間を意味するのではありません。
 自分にできないことが何かということを、落ち込んだり他人をねたんだりせずに把握できる人のことです。
 自分ができること、するべきことが、分かるようになることです。
 それが通じない相手に対して、それが通じない場面において、ムカついてキレる人ではない、ということです。


 人の教養の有無を推し量るのは、少し難しいことです。財務状態が健全かどうかを診断するために特別な技能が必要であるように、誰かの性格や言動について、教養があるかどうかを判断するためには、自分自身にある程度の教養が備わっていることが欠かせません。

 教養の足りない人が、相手を非難する…君たちは我々のことを理解していない、我々の要求を公正中立に受け入れろ、思考停止するな…その責め方自体、相手に対する理解や思慮が無く、自分の目的に凝り固まって思考停止しているようなものです。
 教養のある人が、相手を観察・分析したうえで、君の言い方には賛成できない、と答えること。重要性や優先順位を比べて検討した結果、君が要求するようなことは、する必要はない、と判断すること。
 似ていても、大きな隔たりがあります。



 教養は財務状態のようなもの…というのは、確かに例え方のひとつでしかありませんが、それでも全く違うというのではありません。
 人生の様々な段階で生活環境が変化した時、それまでの日常の過ごし方を変えざるを得なくなる時、教養がある人とは、自分が何を変えるべきか、どの点は変えずに守り通すのか、どうすれば変える・守ることができるのか、判断できる人です。

 時代の流れで世の中や景気が変化した時、それまでの商売の仕方が通じなくなった時、財務状態を把握していることは、これから何をするべきかを判断する材料になります。現実に合わない事業を何が何でも続けようとすれば、有力者にワイロを送ったり、反対する者を力ずくで排除するようになるかもしれません。



 教養は、誰もが備えているに越したことはありません。
 知識ばかりで教養が無くても、生きていくことはできるかもしれません。
 特定の分野の深い知識ならば、その分野の専門家だけが通じていれば済むことかもしれません。むしろ、企業秘密にも関わって、誰もに知られてしまうと好ましくない場合もあることでしょう。
 教養は、仕事ではなく、人生の重要な局面で活きるものです。
 人生の重要な局面という時に教養が無いと、思考停止して派手な言動をうのみにする生き方になるかもしれません。すぐに死んでしまうわけではないけれど、ましな生き方を選べなくなってしまいますよ。


『不思議の国の氷雪王』Pixivで公開します [ストーリー - ホームタウン]

 1月31日のコミティア115出展も無事に終えることができました。ブースにお立ち寄りくださった皆様、作品に興味を示してくださった方々に心から感謝いたします。
 当日頒布した新刊『不思議の国の氷雪王』、今回も縮小版の画像データを作りましたので、Pixivで公開します。販売した紙面よりも縮小していますが、無料でご覧になれます。

 当ブログにもリンクを置きます。

Pixiv:漫画『不思議の国の氷雪王』

 絵の仕上げにもミスが多々ありますが、描き直すとキリが無いので、印刷・頒布した内容をそのままウェブ上でも公開します。

 文字が小さくなりすぎてはいないか等、読める程度の縮小なのか、読み直して確認はしました。
 けれども、読みにくいといったご意見もあるかもしれないとは思っています。

 描線の描き込み方等、今後も改善していくつもりです。5月開催のデザインフェスタとコミティアにも、すでに申し込んでいますから、この次はもっと読みやすく、さらに評価を頂けるようなものを描くつもりです。

Tia115publish_Cover_sample_20160130.jpg